2011年8月16日 のアーカイブ

強いぞ!新潟アルビレックスBC

2011年8月16日 火曜日

昨晩は、こんな場所から新潟アルビレックスBC雨宮投手の完封ゲームを見ていました。

開幕前にadecodeに出ていただいた橋上監督。

この方はおもしろい!(魅力的だということ)

僕らadecodeメンバーの無謀な提案に乗って頂き、

橋上監督にマイクを付けてもらって、ベンチから野球をライブ配信しました。

これがまた、野球ファンなら、たまらない面白さ。

あの古田敦也さんも登場してくれて、「新しい!おもしろい!」と絶賛!

ご自信のブログにもアップしています。

古田敦也ブログNEOhttp://www.aspara.co.jp/atsuya-furuta/

BCリーグだから出来る大胆なアプローチ。

もちろん、橋上監督のファンサービスがあってのこと。

野球ファンなら必見です!!

皆さん、優勝目指して突き進んでいる新潟アルビレックスBCも応援してください!!

adecodeメンバーが配信したUSTアーカイブを見てください。

8/14対富山サンダーバーズ戦 ベンチUST(前半)

5回裏終了後 古田敦也さん・橋上監督インタビュー

8/14対富山サンダーバーズ戦 ベンチUST(後半)

なかなか球場には行けないけど、

会っていきなり一緒に風呂に入った仲の橋上監督のファンになったワタクシ。

優勝したら一緒にビールかけしようって約束してもらったんで、

もう楽しみでしょうがない!

終戦記念日に思う

2011年8月16日 火曜日

死んだ爺さんは二度兵隊に行った。

子どもの頃、いつもニコニコ笑っている爺さんだけど、そういう過去があると知っていた。

仏壇がある部屋には、ご先祖様と兵隊服姿の青年の遺影がある。

でも戦争がどういうものなのか、歴史やテレビで知る程度で、

「戦争はしてはいけない」と教訓を植えつけられたくらいしか思いはなかった。

爺さんは死ぬまで戦争の話を、孫の僕にはいっさい語らなかった。

いつもニコニコして僕を見つめていてくれた。

その爺さんが亡くなり、婆さんも追うように亡くなった。

不思議と、爺さん婆さんがいなくなったら、その存在の大きさが増して行った。

僕が通っていた木造の小学校は、大工だった爺さんが建設に関わっていて、

母も子どもの頃に通っていた。

同じように、僕も母も利用していた地元の駅も、爺さんが建設に関わっていた。

つまり、どういうことかと言うと、

若い爺さんは、兵隊から帰って来て、無い無いづくしの田舎町に、

まだ生まれてもいない孫の代まで使えるものを作っていた。

僕が43歳の時、町のイベントがきっかけで、そんな爺さんの足跡を母から知った。

爺さんに何があたのか知りたくて、母から昔のアルバムを見せてもらった。

それは、ニコニコ笑っていた爺さんとは別人の、

軍服姿で日本刀と鉄砲を持つ若い爺さんの写真があった。

大きなのぼり旗に名前が書かれ、町中の人達から見送られ出兵する爺さん。

誰か知らない若い兵隊さんさんのアップの写真もいくつか。

おそらく爺さんの友だろう。

遺影としたのかも。

そして、ご先祖様の隣の軍服姿の青年の写真は、爺さんんの兄弟だと知る。

「行きたくない」と言いながら、戦地に行ったそうだ。

骨は無い。

爺さんが戦争の話を孫の僕に言わなかったのは、辛すぎるから。

いつもニコニコしていたのは、平和を孫の僕に託すため。

そういうことなんだろうな。

何故、日本が太平洋戦争へと突入したのか?

僕らは日本だけの歴史認識しか無いが、アメリカから見たら違う認識だ。

もっと言うと、世界から見たら、さらに違う認識になる。

ただ一つ言えるのは、日本がこうして平和でいられるのは、

戦後生まれの人達じゃなく、戦争を体験し生き残った人達のお陰。

なんだかんだあるけど、平和な国日本に生まれたことに感謝して、

一年に一度くらいは、たくさんの戦没者に手を合わせなきゃね。