2014年1月4日 のアーカイブ

告知です

2014年1月4日 土曜日

展覧会をします。画家としてスタートします。

運命の糸

2014年1月4日 土曜日

この写真は私が大切に持ち歩いている宝物です。
昭和27年、白新線開通に伴い葛塚駅(現在はJR豊栄駅)の駅舎が完成し、
竣工に携わった人達の集合写真です。
雪の積もる場所で名も知らない人達ですが、何とも勇ましく見えます。

この写真を見つけたのが2006年のちょうど今頃。
ま、正確に言うと2月です。
この年の3月25日(日)に、JR豊栄駅舎が新しくなるということで、
地元の観光協会から何か祝いのイベントをやってくれとのお達しがあり、
私を含め6・7人が集まって考えに考えたあげく、
半世紀前に行われていた郷土の歴史を掘り起こした企画を立ち上げました。

それが、第2回ちょうちん行列というイベントです。
当時の記録が残っています。
>>> http://www.naviu.net/tyoutingyouretu/tyoutingyouretu.htm

このイベントの実行委員長に私が任命されました。
地元のつわものである先輩達からの命令には逆らえないものでして。
これが運命というか、不思議な出来事に繋がるのですが、
過去の資料をかき集めたら、この写真が出て来たのです。

驚いたことに、この写真の前列右端にいるのが、
私の母方の爺さんでした。
私が生まれた時から育ててくれた爺さんでした。
もうこの世にはいない爺さん。
写真の爺さんは当時47歳と分かりました。

明治生まれで、若い頃に二度の出兵。
兄弟や友を戦争で亡くし、
それまで人を殺す訓練をしてきた人が、昭和20年8月に敗戦。
世の中は一転平和となり、ひっくり返ります。
いったいどんな心境だったんだろう?
叔母から聞いたのですが、爺さんは「九州には行きたくない」と言ってたそうです。
辛い思い出があるんでしょう・・・。
私には戦争の話はいっさいしなかった爺さんでした。

終戦から7年後の写真を見て、知らなかった爺さんの事を、
我が郷土の事を想像するようになりました。
日本は復興の真っただ中。
我が郷土は「北蒲原郡葛塚町」という地名でした。

新潟市と新発田市に挟まれた、まだ小さな集落に、
鉄道が通るというのは、当時としては夢の事業だったでしょう。
その一大プロジェクトに、爺さんが関わっている。
おそらく選ばれし人材の一人だったでしょう。
それだけで誇りを感じます。

写真を別な角度から見ることができます。
写っている人達から見た風景です。
調べたところ、駅舎の前は農地を埋め立てた更地が広がっていたそうです。
だけど、爺さん達には”これからこの地が発展する!”
そんな夢と希望に満ちた風景に見えたことでしょう。

昭和27年。
爺さん47歳。

私は昭和39年生まれですから、まだこの世に存在していません。
ところがです。
爺さん達が作ってくれたこの駅舎を、私は使っています。
私が卒業した小学校の学び舎も、爺さん達が建設しました。
つまりですね、
爺さんは、まだ見ぬ孫の世代まで残せるものを、
47歳で作ってくれていたということです。

それを改めて知った時に、爺さんの凄さに心打たれました。
この写真を見つけた時の私は41歳でした。
47歳の爺さんと41歳の孫が2006年に再会したようでした。
「どうだ?凄いだろ?お前に何ができる?」って言われたようでした。

ここからです。
私は未来に何が残せるのだろうって考えるようになったのは。
100年後の子孫に何を・・・????
今年50歳になる私は、まだ爺さんに追いついていません。

まだまだです。